出社して疲れた話
2024/12/19
普段はリモートワークをしているが今日は久しぶりに出社してみた
久しぶりといっても、この現場に10月から参画したときのキックオフで出社して以来の2回目の出社であった
特に必要があった訳ではない
二日前に忘年会をした際、出社組とリモート組での距離感の差を感じた。
出社組が和気藹々と話す話題に全くついて行くことができず、所謂アウェイ感を感じてしまったのだ。
仕事をする上で、円滑にコミュニケーションを取ることは重要事項として良いだろう。
チームメンバーと交流を深め、協力してすることもまた仕事の一つだと、そういう認識は私の中にある。
人付き合いが苦手な私でも、およそ10年の会社員経験の中でその重要性をよく知っている。
だからその距離感の差を埋めようと、私は今日出社した。
というような理屈もあるにはあるが、理屈抜きに楽しそうだなと思ったのだった。
そんなこんなで出社をしたのだか、まあ疲れた。
普段リモートで仕事をする10倍は疲れたのではないだろうか
まず、朝起きたときの、ああ、身支度しなきゃという憂鬱感。
リモートであれば、あと1時間は眠れたであろうと思いながら、重い腰を上げ、申し訳程度に身だしなみを整える。
朝シャワーを浴び、何を着ていこうかと思い悩む。
家で仕事をするなら、全裸でしようが自由だが一歩外へ出ようものなら法がそれを許すわけがない。
法が許しても、私の信用やら尊厳やらが危ぶまれる
一応都心にあるIT会社のオフィスなので、カジュアル過ぎないものを取り繕い、ヘアセットなどもかかさない
そして定時の朝9時に間に合うように家を出て、この季節太陽まだが低い位置にいての気温が上がりきらない寒空の下駅まで向かう。
そして、その先に待っているのは都会名物、満員電車である。
ここで半ば心が折れ出社を後悔したが、時すでに遅い。
出荷される牛のように感情を押し殺して、ただ高速移動する物体となる
もうここで、体力の半分を使い果たしている。
これからあと9時間仕事をするなんてあまりにも酷でなないか?
しかもただ仕事をするわけでない
人目にさらされ自由に休憩を取ることもできず、他人の与太話に相槌をうち、ランチなんかともにして、他人が他人に叩いている陰口に気づかぬふりをして、そんな中で9時間拘束されるのだ。
今まで10年間、よくやったこれたと思う。
それも結局我慢できず、フリーランスになりリモートワークが可能な環境に逃げ込んだのだ。
世の中の人は、どうやって会社勤めをしているのだろうか?
自分に折り合いをつけて仕方なくしているのだろうか?
それとも折り合いなんてつける必要もなく、それが自然で特に苦もないのだろうか?
今の現場は出社してもリモートでもどちらでも良い
だから出社している人の大半は任意出社というわけだ。
そういう人は、やっぱり出社して人とコミュニケーションを取りながら仕事することが楽しいのだろうか?
この、他人が当たり前にできることが自分にはできないという感覚が昔からある。
何が自分とは違うのだろうか?
私はつくづく社会に適さない体質なのだろうかと思う。
これはただの愚痴だ。
嫌なら出社しなければ良い。
リモートの選択肢があるだけ、私は幸せなのだ。
わざわざ苦しい環境に自ら出向いて、愚痴をこぼすことに何の生産性があるのだろうか
でも、ほんの少しだけ思う。
他の人が当たり前にしているみたいに、自分も自然に周囲に溶け込めたら、それはどんな気分なのだろうかと。
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